箱根ホテル小涌園の開業まで(1)
箱根小涌園の歴史は大正7年(1918年)までさかのぼります。男爵であった藤田平太郎の別荘として、のちに「小涌園」と命名される建物が建設されました。戦後に藤田観光の創始者である小川栄一が譲り受け、旅館として開業されます。当時の小涌園は純日本風の建物で、収容人数は25名。この建物は現在では「貴賓館」とされ、国登録有形文化財建造物にも指定されています。
譲り受けた昭和23年頃(1948年)、小涌園があった土地は、箱根随一の別荘地でした。別荘を持つ人たちなど限られた層だけが温泉や庭園を楽しめた時代に、もっと多くの人が手軽に疲れを癒せるようにという考えのもとで「小涌園」は開業されました。特別な別荘地だった小涌園エリアが多くの人にひらかれる第一歩をあゆみ始めたのです。
現在は温泉地としても有名な小涌園ですが、第1号温泉が掘削されたのは昭和24年11月16日のことでした。昭和25年4月には第2号源泉も噴出します。入浴休憩施設がつくられただけでなく、翌年には温泉茶屋を開設し、2号源泉の蒸気を利用してつくったゆで玉子の販売を始めました。このゆで玉子は「ラジウム玉子」と名付けられ、小涌園名物になります。ラジウム玉子は大涌谷の玉子のように固ゆでではなく、黄身は固く白身は柔らかい半熟で、いわゆる温泉卵でした。
昭和25年には日帰り入浴休憩施設「金時屋」、離れ式高級客室「早雲亭」、宮城野村の百姓家を移築した「温泉茶屋」など、小涌園に多くの施設がつくられます。旅館「小涌園」の創業当時には15名だった従業員数も昭和27年末には124名となり、その後も遊園地や熱帯植物園などがオープンし、経済成長にともなってにぎわいをみせていきます。
そして昭和34年、ついに箱根ホテル小涌園がオープンしました。